カモが越冬に来る木曽三川について考えてみる

木曽川の風景

長良川の風景

木曽川の様子

長良川の様子

10月中旬には日光川、善田川、宝川など蟹江周辺の川では、カモ類の数は真冬ほど多くありません。

ところが木曽川には既にたくさんのコガモが見られます。

推測に過ぎませんが、カモたちは木曽川などの大きな河川に沿って大陸やカムチャッカ半島から尾張地方に来て、それから少しずつ中小河川に分散していくのではないかと思われます。

10月のこの時期は木曽川に留まっている時期のようなのです。

尾張の西のはずれから三重県、岐阜県の県境に木曽三川があります。

東から西へ木曽川、長良川、揖斐川が並んでいます。

それも土手を挟んですぐ隣り同士という感じです。

昔はこの三川は今のように分流していませんでした。

江戸時代は大きな川に木造の橋を架けたことがあったものの、洪水で破壊されていたようです。

多摩川では何度も作っては壊れが続いたようです。

昔は大井川や木曽川には橋を架けない幕府の政策があったと学びましたが、当時は橋を架けたくても架ける土木技術がなかったことも1つの理由です。

そこで船橋を使って往来していました。

ウィキペディアの「船頭平閘(こう)門」には、「木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川は下流域で合流・分岐を繰り返して網目のように流れており、大雨のたびに洪水が発生して流れが変わるなど災害が絶えなかった。~中略~ 明治政府は1877年(明治10年)にお雇い外国人のヨハネス・レーケを派遣して三川の完全分流を目指すことになる。これに伴って三川はその派川を通じて水路で繋がっていた地域間が河口地域まで迂回する必要が生じることとなり、橋もほとんどなかったため物資輸送などの面で支障が出ることが予想された。そのため当初計画から閘門を設けることが検討されていたものの場所は未定で、鰻江川や青鷺川との比較検討ののちに船頭平への設置が決定され ~中略~ 木曽川と長良川の水位は通常木曽川側が高く年間平均水位差は35センチメートル、最大水位差は月平均で54センチメートル ~中略~ しかし実際に運用すると長良川側の水位が高くなる頻度が予想より多く長良川の扉も2対に増設された。~中略~ 完成翌年1903年(明治36年)の利用は操作回数5833回、通行船舶27169艘・筏5569枚という実績を記録しているが、1952年は年間600~700隻の大部分をレジャーボートが占めている。」と記されています。

パナマ運河やスエズ運河同様に閘門を使って、水位差を調節しながら木曽川と長良川を交互に行き来をしていたのですね。

木曽川といえば、すぐに東岸の御囲堤を想い出します。

犬山から弥冨にいたる堤の高さを3尺(91センチ)高くして、洪水の時に美濃に流れるようにした尾張徳川の政策です。

もともと木曽川の水位は長良川より高いのでそちらに流れていくでしょう。

何度も足を運んでいる福原輪中の端にある船頭平公園はそんな歴史があるところだと分かりました。

そんな木曽川にカモが毎年やって来ているのですね。

カモ撮りこうちゃん