永和の雑木林の半野生のネコで考えたこと

祖母のトラネコ

子どものネコ

トラネコに甘える子ども

孫のネコ

3年前から永和の雑木林で何匹かのネコを見かけています。

広辞苑の「野良猫」には「飼い主のない猫。野原などに捨てられた猫。どらねこ。」となっています。

飼い猫が捨てられたり放棄されたものの、人の周辺で生活しているネコという記述になっています。

永和のネコたちは捨てられてから何代にも亘って雑木林で生きてきた雰囲気です。

飼われた経験が全くない感じなので半野生のネコと考えています。

最初に見かけた中心にいたトラネコのメスは昨年の秋にいなくなりました。

死んだと思われます。

今はその子どもや孫と思われるネコたちが雑木林の周辺で生活しています。

このネコたちに餌を運んでいる高齢の女性がいます。

最初のうちは顔が合うと知らぬ振りをしていましたが、その内に話をするようになりました。

この女性はネコに餌を与えることは悪いことだと思い込んでいて、強い罪悪感を持っているようです。

雑木林から遠くない団地の住人で、自転車で餌を運んできているのです。

数年前にはトラネコが農道に座り込んで女性が来るのを待っていたようでした。

そのことも半野生のネコと考えた理由です。

私は写真撮りに雑木林にも出かけていますが、トラネコは最初は逃げだしましたが、しばらくして逃げなくなりました。でも私の行動を警戒しているのは分かりました。

先日これまで撮ってきたネコの写真を何枚か高齢の女性に進呈しました。

既に死んだトラネコの写真もありました。

その子どもたちや孫たちの写真も数枚ありました。

高齢の女性がこれほどの罪悪感を持っているのはどうしてなのか不思議に思いました。

都市部では「ハト、野良猫に餌を与えないでください。」とよく言われています。

それらの数が増えて人間に被害を与えるからです。

ハトやムクドリの糞公害やカラスのゴミ袋を荒らしなど、人間にとって都合が悪い被害を減らしたいからでしょう。

人間に被害を与えるようになったその遠因は、もともと人間の行動によるものが多いように感じています。

田舎だったところを住宅にして自然環境を変え、飼っていたイヌやネコを自分の都合で山中などに捨てて野良犬や野良猫にし、農業の大型化に伴ってカラスやムクドリの餌を取りやすい環境を供給するなど、意図的ではないにしても、人間の行為がこれらの動物が増える原因を作っているのです。

ヌートリアやミシシッピアカミミガメなどもそうした人間本位によって引き起こされた例といえるでしょうね。

直接的な被害だけを報道する新聞やテレビなどのマスコミも、人間の行為と自然に住む動物たちとの関わり合いの歴史を踏まえて伝えてくれれば、この高齢の女性のような強い罪悪感を持たせなくできるのではと考えてしまいました。

皆さんはどう考えますか。 

(ネコ科 ネコ属)

カモ撮りこうちゃん