三つ葉葵の紋の由来はゼニアオイでもタチアオイでもなかった

水戸黄門のテレビドラマを視ていると、最後に葵(アオイ)の紋の印籠を見せて権威を相手に知らしめる場面が出てきます。

物語のどんでん返しのきっかけになる場面です。

徳川家の三つ葉葵の紋のデザインの由来にとても興味を持ちました。

アオイ科の仲間は思った以上に多くオクラ、ハナオクラ(トロロアオイ)、モミジアオイ、ゼニアオイ、タチアオイ、ワタ、ハマボウなどはみなそうです。

三つ葉葵の紋のデザインの由来は、どこから来ているのかと考えているうちに、ゼニアオイかタチアオイではないかと思いました。

葉の形が何となく似ているのと名前にアオイとついているからです。

でもゼニアオイは、江戸時代に日本に観賞用に移入されたのでゼニアオイではあり得ません。

タチアオイかも知れないと思ったまま、時間が過ぎていきました。

ウィキペディアにはタチアオイは「当初は中国原産と考えられていたが、現在はビロードアオイ属(Althaea)のトルコ原産種と東ヨーロッパ原産種との雑種とする説が有力である。日本には、古くから薬用として渡来したといわれている。~中略~ 作家などがタチアオイに関する詩を詠んでいる。『梨棗(なしなつめ)黍(きみ)に粟(あは)嗣(つ)ぎ 延(は)ふ田葛(くず)の 後も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く』(万葉集)」と記されています。

歴史的にはタチアオイの可能性は残ったままでした。

ギフチョウとヒメギフチョウの幼虫の食草がギフチョウはカンアオイ、ヒメギフチョウはウスバサイシンで、どちらもウマノスズグサ科のウマノスズクサ属に属しています。

葵の紋はその仲間のフタバアオイと関係があることを知りました。

これまでの疑問が氷解することになりました。

アオイ科の仲間とは無関係だったのです。

徳川家の「三つ葉葵の紋」は神社の紋にも使われています。

京都の上賀茂神社や下鴨神社の神紋は花つきのフタバアオイです。

徳川家の三つ葉葵は、徳川家がこれらの神社と関係が深く、それをもとに三つ葉を合わせた葵の紋にデザイン化して作り出したようです。

三つ葉葵の紋は少しずつ模様を変えて、神社紋(鎌倉の浄智寺)や太鼓の模様(飛騨古川町の「起こし太鼓」)として使われています。

葉が似ているという単純な理由で葵の紋ができたのではなかったのです。

三つ葉葵も歴史の流れの中で作られてきたことに、驚くとともに妙に納得してしまいました。

あるとき感じた疑問を持ち続けていくと、ある時に急に解決にいたることがあることを経験したのが、この三つ葉葵の例でした。

(ゼニアオイ アオイ科 ゼニアオイ属)(タチアオイ アオイ科 ビロードアオイ属)(フタバアオイ ウマノスズクサ科 カンアオイ属)

カモ撮りこうちゃん

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