カタバミは家の庭にも咲いている

カタバミは自宅の庭にも咲いています。

黄色の5枚の花弁で葉は3枚です。

一見するとバラ科かマメ科かと思うのですがカタバミ科です。

私の知識の持ち方だと混乱しかねない花なのです。

できた実はゲンノショウコと同じではじける仕組みを持っています。

食べたことはないのですが、イタドリやスイバと同じようにシュウ酸が含まれていて酸っぱい味がするようです。

庭のカタバミに夏を過ぎるとヤマトシジミが集まってきます。

幼虫の食草がカタバミなので産卵のためにやってくるのです。

庭には昔からピンクの花を咲かせるムラサキカタバミも咲いています。

わざわざ植えた訳でもないのに、毎年咲くのです。

種が飛んできて増えてきたようです。

蟹江周辺を歩き回っていると、色々なカタバミだと思われる植物を見かけるようになりました。

1つは普通のカタバミは茎が立ち上がらないのに立ち上がっています。

オッタチカタバミというようです。

また花のピンクが濃く中心部が特に赤いイモカタバミも時々見かけます。

オッタチカタバミは北アメリカ、イモカタバミは南アメリカ原産で、そんな帰化植物が周りに見られるようになりました。

とくにオッタチカタバミは在来のカタバミより多く見かけています。

カタバミは昔から家紋として使われています。

庄内藩酒井家の家紋もカタバミです。

その由来は繁殖力が強く荒地でもどんどん増えていくことから子孫繁栄の象徴として意義からのようです。

酒井家は徳川譜代の名門であり、井伊、榊原、本田と合わせて徳川四天王と言われていました。

途中多少の不手際があって他の三家よりは後れを取ったものの、その子孫はいくつかの酒井家に分かれて、酒井忠勝(左衛門尉家 さえもんのじょうけ)の頃に出羽庄内藩に移封されたということです。

譜代は老中にはならない慣習があったものの、五代藩主酒井忠寄は16年間にわたって老中となり、その結果藩の財政は疲弊してしまいます。

それを支えたのが経営能力に長けた有名な本間光丘です。

本間家は当時3000町歩(一町歩はほぼ一ヘクタール 100メートル四方の土地)の田畑と小作人を持ち、「本間様には及びはせぬが、せめてなりたや殿様に~」とうたわれた豪商です。

こうして酒井家は明治まで続き、明治後は華族の伯爵となったといわれています。

このように昔の人はカタバミの生態をよく知っていたのですね。

私はカタバミ、キジムシロ、ヘビイチゴやキンバイなどの区別がまだつきません。

同じような黄色の花なのです。

多くのものはバラ科ですが、カタバミはカタバミ科です。

少しずつ違いを学んでいくしかないかと思っているところです。

(カタバミ科 カタバミ属)

カモ撮りこうちゃん

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