鷹狩りに使われるタカ
鷹狩りの起源はモンゴルの草原の鷹狩りが、朝鮮経由で日本に伝わったのが初めで、仁徳天皇の時代(西暦355年)だと言われています。
モンゴルの草原の鷹狩りは、大きなイヌワシを使いキツネなどを捕っていました。
しかし日本は森林地帯で、木々の間を簡単にすり抜けられているタカが必要です。
また鷹狩りを徳川家康、織田信長、徳川吉宗なども盛んに行いました。
というのは、勢子(獲物を狩り出す役目)を上手く使って、合理的な鷹狩りをすることは戦場の戦いの采配と同じだからです。
江戸時代には、タカを育てる鷹専門の部署がありました。
「鷹司(たかつかさ)」といい、それを鷹狩用に育て狩りをする人を鷹匠(たかじょう)といいます。
城下町には鷹匠町もありますね。
大名たちは将軍にタカを献上したり、自分でも鷹狩りを行いました。
鷹を捕獲する場所が決めれていました。
それが鷹巣山とか鷹取山といいます。
日航機事故があったところも偶然御巣鷹山でした。
この鷹狩用のタカは、主にオオタカかハヤブサです。
時代劇に出てくる鷹狩りのタカは殆どオオタカでした。
これらは将軍家や大名しか飼うことが許されませんでした。
東北では昔から冬の農閑期に雪深い冬山に入って、収入源を得るためにタカを使ってウサギの狩りをしていました。
当然オオタカやハヤブサは使えません。
そこで一回り大きいクマタカを使っていました。
私はこれまでクマタカの写真は撮れていません。
数が減ってしまっているからです。
今でも鷹狩りを行っている松原英俊は東北の農民が行っていた鷹狩りを鷹使いと呼び、鷹匠と区別しています。
参考文献「鷹と生きる」鷹使い・松原英俊の半生(谷山宏典 山と渓谷社)