ナノハナが咲く季節になって考えたこと

3月1日に見かけたナノハナ

いろいろなナノハナ

ダイコンの花

2月の半ばから3月になるとナノハナが咲き出します。

黄色い花をたくさんつけるので存在感があります。

昨日(3月1日)も津島市鹿伏兎の畑の脇に咲いていました。

そこに蜜を求めてニホンミツバチ(?)が訪れてきていました。

ナノハナというとすぐアブラナ科で4枚の花弁を持つと、馬鹿の一つ覚えで思うようになっています。

ウメ、サクラなどのバラ科の5枚の花弁とは別に、春にはアブラナ科の仲間が花を咲かせます。

タネツケバナ、イヌナズナ、ナズナなどは小さい白い4枚の花弁の花を咲かせます。

また善田川の土手一面に花を咲かせる白いダイコンもアブラナ科で4枚の花弁です。

他にはカブ、チンゲンサイ、コマツナもアブラナ科です。

探して見るとアブラナ科の仲間は意外に多いようです。

ナノハナといえば、すぐ想い出すのはナタネアブラ(菜種油)です。

江戸時代まではエゴマやゴマを使ってテンプラを揚げていたと思われます。

福井県の縄文遺跡である鳥浜貝塚にはエゴマの痕跡が残っていたといわれています。

縄文人も食材をテンプラにしていた可能性がありますね。

その後ゴマアブラを経て、室町時代後期から江戸時代に入ると菜種油が使われるようになりました。

それが元禄時代には大量に生産されて、テンプラなどの調理だけでなく、灯油として使われるようになりました。

そのお蔭で夜間は暗かった世界が明るい世界に一変したのです。

生活が変わり生産性が向上して、一日三食になったり畳敷きの部屋ができるようになったといわれています。

それが元禄時代だったのです。

紀伊国屋文左衛門などの豪商が遊び放題できたのは、こうした菜種油による明るい世界が作り出されたことによるとも考えられます。

文左衛門は江戸の町が頻繁に火災に遭って木材不足になったのに目をつけて、それを調達し莫大な財産を作ったといわれています。

そんなことができたのは、ナタネ(菜種油)の故だといっても過言でありません。

私たちの食生活に必需品であるナタネも外国から輸入していると思われますが、今回のロシアとウクライナの戦争によって、これからは手に入らなくなってくるかもしれません。

ナノハナが一面に咲く畑の素晴らしさだけでなく、こうしたナタネ(菜種)の効率的な生産や使用方法も考えてみる時代になってきたのかも知れませんね。

 (ナノハナ アブラナ科 アブラナ属の総称)