見かけた迷鳥のその後はどうなっていくのかな?

蟹江周辺でもいつも見かける鳥とは違った迷鳥に出会うことがあります。

これまで見かけた迷鳥にはナベヅル、マガンやトモエガモがあります。

群れから離れた迷鳥は群れに戻って、大陸に無事帰れるのか心配になります。

迷鳥ではありませんが、タゲリは飛島村だけで見かけます。

数年前15羽前後の群れを見かけてから毎年見かけるので、この周辺で越冬しているようです。

観察していると夕方には集まりますが、昼間は採餌のために勝手に飛び回っています。

群れから離れて1羽だけでいることも多々あります。

群が飛ぶとか鳴き声を聞いて戻ってきます。

人間のように迷子になると探しに来る気配はありません。

偶然に知らない間に群れが移動してしまえば群れに戻れなくなる可能性があります。

常に迷子になる可能性があるようです。

マガンは東北地方で冬を越して春先にシベリア大陸に帰ります。

宮城県伊豆沼は越冬地として有名です。

日本海側では石川県辺りまで南下しているようです。

冬期間に敦賀湾から関ケ原を越えて北西の季節風に流されて名古屋周辺まで飛んでくる可能性があります。

先日見かけたマガンと数年前のトモエガモは、北西の強風に流されてきたのかも知れません。

ヘラブナの産卵で「自然は種が保存されればよく、種の個体の生存には価値を置いていない」と感じました。

4月の降水で用水路から産卵のために水田に流れ込んできた大量のヘラブナが水が干上がって死んでしまう場面を見かけたのです。

他のどこかで産卵した稚魚が成魚になればヘラブナの種は継続できます。

自然は種が保たれれば個体が死んでも良いというリスクを計算したうえで、ヘラブナを生存させているのではないかと思ってしまいました。

迷鳥のマガンが単独で春に北帰行するとしたら、その指標は太陽高度だと思われます。

行くべき目的地は同じ太陽高度だとしても、経度が違っていて平行移動してしまうので他の場所に着いてしまうでしょう。

集団でいるマガンたちは集団記憶で、その太陽高度と具体的な地理的な目じるしを併用しながら北帰行していると思われます。

迷鳥たちは群れに戻れなければ、きっと故郷には帰れないのではないかと思われます。

自然はこれらの迷鳥を群れに戻す意図はなく、リスクに含めているのではないかとさえ考えてしまいます。

種の存続そのものがメインなのであって、個体の存続はそうでないのが自然の摂理のようだからです。

人間社会の関係のありかたを、自然の動物の関係に投影するのは間違っていると思ってしまいました。

野生で生きることの大変さと共に集団の力をいつも頼れない厳しさを感じてしまいました。

カモ撮りこうちゃん