南に帰らないアマサギ1羽を見かけた
11月末に弥富市海屋に写真を撮りに行きました。
夕方近くで稲刈り後の田んぼに耕運機が入り、土起こしをし出しました。
するとサギが一羽耕運機の後をついていきます。
サギの大きさとその行動の仕方からアマサギではないかと瞬間的に思いました。
大きさからコサギではないかと思ったものの、嘴の形、歩き方やその素振りからアマサギなのです。
サギの中でも漫画になるひょうきん者に見えるのがアマサギです。
アマサギは夏鳥で10月末には南に旅立っているはずです。
12月に近いこの時期にいるはずはないのです。
秋口には群れで行動していて11月になると見かけなくなります。
このアマサギは、きっと何かの理由で取り残されたのではないかと思われます。
日本に渡ってくる鳥たちには夏鳥、冬鳥などがいますが、渡ってくるのは生得的に仕組まれたプログラムによると思われます。
種全体として渡りをしているのは確かなのですが、渡りができなくなった(しなくなった)個体が、ある数いるようなのです。
羽や骨を傷めて帰れなくなった善太川のミコアイサ、雑種で帰る故郷が分からないように見える飛島村のマガモ、理由不明ですが夏を単独で過ごしている日光川のハジロカイツブリ、意識的に帰らないように見えるマガモの番いなどを見ています。
このように群れと一緒に帰らない(帰れない)個体がいるのですが、半年をここで過ごすと鳥生(人生?)は変わってしまうでしょう。
その個体が所属していた群れが翌年戻ってきても昔の群れに戻れるかどうかも定かでありません。
新しいヒナが育って、新しい家族の群れになっている可能性があるからです。
海屋で見かけたアマサギの首には黒い跡が見られました。
首を怪我して群れと一緒に帰れなくなったのではないかと思われます。
こんな例を見ると、自然はその種が生き残り継続できれば良いのであって、種内の個体の生き死については、とても無頓着のように思えてしまいます。
これはヘラブナの時にも同様でした。
個性やその存在の重要性を尊重する人間社会と、野生動物の世界の実態との乖離をどう整合的に考えたら良いのか、考え込んでしまいました。
(ペリカン目 サギ科)
カモ撮りこうちゃん