山形はベニバナの産地として有名

江戸時代から山形県はベニバナが有名です。

内陸で栽培されたベニバナを紅餅(ベニモチ)にして最上川を下って酒田まで送り、酒田から京都や大坂に北前船で運んで、そこで紅(ベニ)が製品化し販売されていました。

最上川はベニバナの輸送にとても重要な役割を果たしていたのです。

ベニバナを作る伝統は今も残っていて、夏になるとベニバナの作付けを県内各地で行っています。

高瀬地区はその場所の1つで、夏になると公民館でベニバナを販売しています。

ベニバナはキク科の植物で蕾に棘があって触ると痛いのです。

花が湿っている早朝に摘むようです。

この花は黄色ですが筒状花の中心は赤で、赤と黄色の色素が取れます。

紅花の黄色色素は水溶性で水に簡単に溶けるので、衣料品や料理の着色(くちなし同様に)に使われています。

ところが赤色色素は水に溶けないため色いろな工夫が必要となります。

赤色を取り出すために、まず水溶性の黄色色素を取り出す工程があり、ベニモチを作る作業があります。

昔の工程は、①まず足で踏んで絞って、水の中に黄色色素分を取り出す ②残ったものを日陰干しし数日間寝かせ発酵させる ③発酵したベニバナを臼で搗いて団子にする ④それを筵で踏んで煎餅状にしてまた天日干しする ⑤それがベニモチ です。

その形にして京都や大坂に運んだのです。

江戸時代には赤色の服を庶民は着用できませんでした。

そのくらい紅の赤は取り立てて高級品だったのです。

紅餅から赤色を取り出す作業では、灰汁などを加えてアルカリ性にすると赤色が溶け出してきます。

染色する媒染剤(中和剤)はそのアルカリ性を中和するために、今度は酸性が必要となります。

そのためにクエン酸や梅酢などを利用していたようです。

数年前の4月初旬に吉野のサクラを見る観光バスを利用しました。

この年は開花が遅れてほとんど見ることができませんでした。

案内役の添乗員は恐縮して、帰りに月ヶ瀬梅林を案内してくれました。

ここの梅林は1772年に「翁草」という本に出てくる場所で日本名勝地に入っています。

江戸時代には10万本が植えられていたといわれています。

この多くの梅林は単なる梅の花を観賞するためでありません。

梅干しの材料でもないようです。

ここは奈良県内で京都にも近く、クエン酸を含んだ烏梅(うばい)を作るための梅林だったようです。

つまり紅(べに)を作るための媒染剤(中和剤)の材料を生産していたのです。

いつ頃から梅林があったのかは定かでありませんが、山形のベニモチを京都や大坂に持ちこむようになった時代と重なるのではないかと思われます。

私の中で山形のベニバナと奈良の月ヶ瀬梅林が烏梅を通して繋がりました。

なぜか嬉しい気持になりました。

(キク科 アザミ亜科 ベニバナ属)

カモ撮りこうちゃん