ミヤコグサで想い出されること

ミヤコグサの花はマメ科ですが余り見かけません。

よく見かけるのはサヤエンドウやササゲなどの栽培植物と6月に咲く赤紫のカラスノエンドウでしょうか。

山形県では、天童高原や水晶山に行く途中でミヤコグサをよく見かけました。

黄色い花(蝶形)でとてもきれいな花です。

葉はマメ科の1つの特長でもある3つ葉です。

蟹江周辺ではミヤコグサに出会いませんでした。

こちらにはないのではと考えていた矢先、木曽川と長良川に挟まれた福原輪中の長良川の土手下の叢(くさむら)で、ミヤコグサの小さな株を2~3株見かけました。

そこで夢中で写真を撮りました。

ミヤコグサは、幼児に推論や予想能力があるかを考える際の例として想い出されます。

私たちは「賢いとか頭が良いとは、たくさんのことを知っている」と考えがちです。

野球をするためには、バットとボールの用具だけあっても野球はできませんね。

それらを上手に使えて初めて野球を楽しむことができます。

そこで上手になるように一生懸命練習します。

知識も同じことで、たくさん知っていても使えなければ役に立ちません。

野球と同じで練習して上手になっていくのです。

知識の良いところは頭の中にあるので、野球道具のように準備しないでも体といつも一緒に移動させることができることです。

道具としての知識の一番の醍醐味は、未来を予想したり、他のことと関連させることでしょう。

人間の道具では最高のものですが、そんな能力の一端が幼児にもあるかどうかということです。

私はかつて幼稚園の二児を近郊に伴った。彼らは”みやこぐさ”の花に注意を引かれたが、その名を問うほかに能がなかった。当時、私どもの菜園には、同じ豆科の”えんどう”の花が咲いていたので、私は名を教えるかわりに、その花を持って帰り、おうちでそれによく似た花を見出すようにと指導した。彼らが帰宅後両者の類似を見いだした時には、小さいながらも自力に基づく新発見の喜びに燃えた。やがてひとりは、”みやこぐさ”について、”これにもお豆がなるのか”と尋ねた。それは誰にも教えられない独創的な質問であった。私はそれにも答えず、次の日曜に彼らに現場で確かめることを提案した。彼らがそこに小さな”お豆”を見出した。そこには自分の推理の当たった喜びがあった。

この例から、幼児にも推論や未来への予想する能力があることが示されています。

ある事実や知識を使って、推理や未来を予想することが知識そのものではないかと考えてしまいました。

(マメ科 ミヤコグサ属)

参考文献 (科学技術と理科教育 理科の教育8巻11号 渡辺万次郎) 高橋金三郎「授業と科学」国土社から

    ミヤコグサで想い出されること” に対して1件のコメントがあります。

    コメントは受け付けていません。