ヤダケは山城では必ず植えられていたらしい!

2024年5月23日舞鶴山で見かけたヤダケ

8年ほど前の4月初旬に、舞鶴山の自然観察会に参加したことがあります。

天童の植物観察会の代表の佐藤定四郎さんが、案内と説明をしてくれました。

市の真ん中にあるのが舞鶴山で、頂上の広場で4月20日頃に有名な人間将棋が行われ、麓の愛宕池も市民の憩いの場所になっています。

佐藤定四郎さんについて舞鶴山を歩き回ってエドヒガン、アベマキ、シナノキ、ボダイジュ、サイカチなどと一緒にヤダケのことを教えて貰いました。

それまではヤダケはただのタケだと思っていました。

後年になって、そのヤダケは意図的に植えられていたらしいと思うようになりました。

この舞鶴山は、昔からの山城で、尾根も含めて曲輪(郭 くるわ)になっていて、南北朝時代からあった城郭です。

ヤダケは、弓矢の矢を作る材料として、郭内の土手などに意識的に植えられてきたのです。

そんなことを知って2024年5月に天童に出かけた時に、舞鶴山のヤダケの写真と動画をぜひ撮りたいと思っていたのです。

ところがそのヤダケは、伸び放題で他で見かける野放図なタケの生えているのと同じでした。

昔はヤダケの管理がなされていたと思われますが、時代が立って放置された結果が今の状態ではないかと思われます。

「日本の樹木」(林弥栄編 山と溪谷社)には「山野の自生し、庭などにもよく植えられている。稈は直立して高さ2~5㍍、直径5~15㍉になる。節は低く、節間は長い。稈鞘は節間より短く、あらい毛がある。枝は稈の中部以上の節から1個ずつでる。葉は枝先に4~7個ずつつき、長さ4~30㌢の披針形で先は尾状にとがり、両面とも無毛。表面は深緑色で光沢があり、裏面は帯白色。葉鞘の肩毛はないことが多い。用途は庭木、釣り竿、矢柄。分布は本、四、九、朝鮮南部。」となっています。

また「天童 出羽の三森」(天童市立旧東村山役所資料館 2013.3)には「ヤダケは『矢竹』のことで、昔これから弓の矢を作ったことから名付けられた名前です。山城のあった場所には必ず植えられている植物で、山城と関わりのある植物で、舞鶴山は全山城郭があったといわれています。それだけに、いたる所にヤダケが群落をなして生えています。~中略~ところで、このヤダケは竹なのか笹なのか、よく話題になります。竹と笹の違いの基準は、稈にいつまでも皮が残って付いているかどうかにあるといわれています。笹はいつまでも稈のまわりに皮がついて残るが、竹は筍の時は皮があるが、成長と共に皮が剥がれて落ちてなくなるようになっており、ヤダケは稈のまわりに皮がいつまでも付いて残ります。ヤダケは名前の通り、外観は竹の様相を呈しているが、笹から竹になる過程の中間型のものだといえそうです。」と記されています。

ヤダケの歴史と笹なのか竹なのか論争も、好奇心を惹きつける何かを感じさせるものがあります。

人は植物の特性を上手く利用してきたのですね。

(イネ科 ヤダケ属)

カモ撮りこうちゃん