ダイサギがドジョウを弄(もてあそ)ぶ行動から考えたこと
ドジョウを捕ったダイサギ その1
ドジョウを捕ったダイサギ その2
餌を探すダイサギ
飛翔するダイサギ
昨年の春に田植え前の水田で、ダイサギがドジョウを捕って飲み込もうとしている場面を見かけました。
すぐに飲み込めば良いのに、咥えて嘴の先で弄んでいるのです。
飲み込みそうになるとまた戻して弄びます。
田植え前の水田は、引いた水が地面に沁み込んでところどころ水溜まりがある状態でした。
ドジョウは昨年水田に入って産卵・孵化したドジョウが育って、水が退いた後に地中で冬眠していたものが、春に水が入ってきたので出てきたものと思われます。
水を引いて耕運機で土起こしするとドジョウが出てきます。
それを狙ってサギが集まってきます。
蟹江周辺ではまだドジョウが多く見られます。
ドジョウを咥えたダイサギの行動を見て、なぜすぐに飲み込まないか不思議に思いました。
その行動から、あたかも久し振りに捕ったドジョウが嬉しくて、その感触や嬉しさを表現しているように見えました。
他の動物でもそう感じさせる経験があります。
トゲウオのイトヨを飼っていた時、そのイトヨが時々背びれを立てたり閉じたりするのです。
カシラダカも頭の冠羽を立てたり閉じたりします。
こうした行動を見ると動物も感情表現しているように見えてしまうのです。
行動から内面を推し量ることが心理学の方法論ですが、このダイサギの行動を喜んでいるとして、人間の心理的な様相をダイサギに投影していいのかという問題があります。
デカルトの動物機械論では動物の行動は機械仕掛けの時計のようなものだと考え、鳴いているイヌやネコを鞭うつことも平気でやっていました。
その後動物たちにも感情の表出があるという考え方に変わってきたようです。
感情の表出はあるにしても、人間と同じような思考レベルにあるのかというと、そうではないらしいのです。
クレバーハンスのエピソードがそれを示してくれています。
知能が高い馬に床を蹄で叩くことで解答するように訓練すると、かなり難しい足し算や引き算などの質問に正解します。
それでクレバーハンスという名前がつけられたのですが、質問者や周りの人が解答を知らない質問をすると、いつまでも床を叩き続けたというのです。
この馬は質問者や周囲の人の正解に至る瞬間の微妙な表情の変化を読み取って、叩くのをやめていただけらしいのです。
フェイスブックでは飼っているイヌとの関係で、あたかもイヌが考えているように接している人を多く見かけます。
本当なんだろうかと疑問に思うのです。
犬は主人の刺激に適応的な反応をとるように学習しているだけで、思考して行動している訳ではないのではないかという疑問です。
飼っている人と犬との関係ではどうでも良いことなのですが。
そんなことをダイサギがドジョウを弄ぶ場面を見て考えてしまいました。
(ペリカン目 サギ科)