イラクサの仲間のカラムシで考えたこと
イラクサの仲間にはたくさんあって、天童周辺でもウワバミソウ(ミズ)、ミヤマイラクサ(アイコ)、アオミズなどは山菜としてスーパーで季節になると束ねて売っていたり、人が山に入って採ったりしていました。
その中のカラムシは昔から衣服の材料だと知っていましたが、今でも同定できないままでいます。
「新・木綿以前のこと」(永原慶二 中公新書)には、カラムシは苧麻(ちょま)と呼ばれ昔から利用されていて、魏志倭人伝(西暦239年頃)の卑弥呼の朝貢にも、麻(アサ)の記述が見られるといいます。
アサというとすぐ大麻を思い浮かべ、覚醒剤として危険な物質だと考えてしまうのですが、知人が冬に野鳥を呼び寄せる餌の中にアワ、エゴマ、トウモロコシ、ヒマワリなどと一緒にアサの実がいつも用意されていたのを想い出します。
アサの実は発芽しないように処理されているということでした。
カラムシは昔から、家の近くや家の庭に植えて収穫して自給用の衣類にしたり、年貢や調(ちょう)として納めていたようです。
私は福島県昭和村のカラムシ織を見に行ったことがありますが、値段がとてつもなく高かったことを覚えています。
衣類にするまでの工程や手間を考えると高価なのも仕方がないとも思いました。
衣類には繊維が長い方がよく、それも柔軟で保温性が高い方が良いのですが、そうした条件を2つ合わせ持つものは少ないのです。
古代・中世には絹、麻以外には、フジ、クズ、楮(コウゾ)やシナノキの繊維を利用していたようですが、それぞれ繊維は長くてもゴワゴワしていて温かそうではない代物ばかりです。
奈良時代から室町時代まではカラムシ(苧麻)中心の衣類で、裏地をつけることも大変で帷子(かたびら)だけの衣類です。
家族用だと細かい織り方をする筈もなく、夏には涼しいが、冬の寒さを切り抜けるには大変でしょう。
文中に山上憶良の歌に、寒さに子どもたちが耐えかねて泣いているものがありました。
麻の保温性がないので重ね着をして寒さをしのごうとしていたようです。
平安時代の宮廷の十二単の着物の意味も、優雅さよりは寒さに対応するものではなかったかと思われます。
その後室町時代になって中国からワタが入ってきて、衣服革命が起こりました。
ワタは保温性が高く、毛織物と同様に現代でも衣服の材料として使われています。
この本を読み終わってから、蟹江川の近くの空き地にカラムシと思われるものが生えていました。
秋口で少し枯れかかっていましたが、花の付き方や葉の裏が白いなどからするとカラムシではないかと思い、茎を折って皮を剝いでみたら繊維が長く剥がれました。
そこでカラムシだろうと確信しました。
今でもイラクサの仲間を見ると、折り取って茎の皮を剥いでみています。
ほとんどのものは長い繊維です。
(イラクサ科 カラムシ属)
カモ撮りこうちゃん