マメ科のゲンゲ(レンゲソウ)の花が咲いていた
小さい頃は春にゲンゲの咲いている畑がたくさんありました。
友達と花を摘みに行ったこともありました。
その後ゲンゲ畑を見かけなくなりました。
化学肥料を入れる農業に変わったからです。
その結果、土が固くなって何年かすると生産量が減ってしまいました。
当時は目先の生産量だけに関心がある農業が目指されていたのです。
化学肥料の他に農薬や殺虫剤を散布したので鳥や昆虫の数も減ってしまいました。
スズメも一時の1/10に減ったといわれます。
家屋の造りの変化も関係しているようですが、それだけではありません。
昔いたチョウトンボ、カトリヤンマやキイトトンボなどのトンボもいなくなりました。
これは世界的な傾向で「沈黙の春」(レイチェル・カーソン)にも記されています。
昔はゲンゲ畑で窒素肥料を補填していたのです。
先人の経験から来た知恵なのでしょう。
最近になって有機農業の重要性が見直されて、化学肥料や農薬を少なくする農業に変わってきています。
その結果からか、スズメの数も昔に戻っている感じがしています。
蟹江周辺でも昔ほどではないものの、春になるとゲンゲ畑を見かけるようになりました。
岐阜県海津市の畑でもよくゲンゲ畑を見かけています。
昔の春の風物詩の情景が復活してきているようです。
ウィキペディアには「ゲンゲはマメ科ゲンゲ属に分類される越年草である。中国原産。レンゲソウ、レンゲとも呼ぶ。春の季語。ゆでた若芽は食用にもなる(おひたし、汁の実、油いため他)。民間薬として利用されることもある(利尿や解熱など)。ゲンゲの花を歌ったわらべ歌もある。『春の小川』などが知られている。『手に取るなやはり野に置け蓮華草』は、江戸時代に滝野瓢水が詠んだ俳句。~中略~ 化学肥料が自由に使われるようになるまでは、緑肥(りょくひ=草肥:くさごえ)および牛の飼料とするため、8~9月頃、稲刈り前の水田に水を抜いて種を蒔き翌春に花を咲かせていた。これはゲンゲ畑と呼ばれ『春の風物詩』であった。~中略~ 戦後は化学肥料の大量生産や使用が自由になったこと、また保温折衷苗代の普及によりイネの早植えが可能となり、緑肥の生産スケジュールと被るようになったことも、ゲンゲ畑が急速に姿を消す原因の一つとなった。窒素固定は、植物が大気中の窒素を取り込んで窒素肥料のようなかたちで蓄えることによる。ゲンゲは、根に球形の根瘤がつく。ゲンゲの窒素固定力は強大で10㎝の生育でおおよそ10アール1tの生草重、4~5㎏の窒素を供給し得る。普通15ないし20㎝に成長するからもっと多くなるはずである。」と記されている。
化学肥料の大量生産や稲作の形態が変化したことが、ゲンゲ畑がなくなった原因のようです。
また復活してきた原因は、他の理由があるんだろうなと考えています。
(マメ目 マメ科 ゲンゲ属)
カモ撮りこうちゃん