ナデシコは品種改良されてきた歴史があるらしい

ナデシコといえば秋の七草を思い出します。

万葉集の山上憶良の歌「秋の野に咲きたる花を指折りて、書き数ぞうれば七草の花 萩の花、尾花、葛花、撫子(なでしこ)の花 また女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、朝顔の花」と詠まれている植物の1つです。

憶良の時代は720年頃の奈良時代初期なので、ナデシコはその頃に既に普通に見られたのでしょう。

最近は野生のナデシコはほとんど見かけません。

園芸種だと思われる華やかなナデシコが人家の庭で咲いている光景が一般的になりました。

野生のナデシコのピンク色とは違って深紅や白など色彩が多様で華やかな感じのものが多く、品種改良されてきたものです。

ナデシコの仲間にはカーネーション、ハコベの仲間、ミミナグサ、フシグロセンノウなどがあり花弁が5枚なのが特長です。

数年前の5月末に伊勢神宮に参拝に行きました。

外宮の後に五十鈴川に架かる宇治橋を渡って、内宮まで通じる玉砂利の参道の脇で、白いテントが設けてありナデシコの展示が行われていました。

木製の掲示板には「伊勢撫子 この花は三重県の天然記念物に指定されており、花弁が縮れて垂れ下がるのが特徴です」と記されていました。

それらのナデシコは茎は長く色が深紅のものや、白い花が縮れて垂れ下がり一見すると花弁が枯れているのではないかと見紛うようなものもありました。

伊勢撫子について調べてみると「モモMサトウ 時は流れて」では「1830年(天保元年)頃、松坂に住んでいた紀州藩士・継松栄治(1803~1866年)は、長年にわたって栽培していた河原撫子の中から、花弁が深く切れ込み縮れて長く垂れ下がるものを見付け、これの育生選抜を重ねて松坂撫子を作出したと伝えられています。」と記されています。

変わり種走りものが価値あるのは昔も今も変わらないのですね。

時代小説を読んでいると、園芸植物の品種改良、例えば菊とか花菖蒲などは、大名や旗本が花好きの将軍に献上するために、専属の園芸師に品種改良をさせ、「お留花」として門外不出にして秘密裏に新しい花を作り出していたと載っていました。

上述の資料では個人の武士が品種改良をしたと記されているので、伊勢地方は園芸文化が盛んだったのではないかと推測しました。

調べてみたら江戸や上方の他、熊本、名古屋、伊勢などは園芸が盛んで、伊勢は伊勢撫子の他、伊勢菊、伊勢菖蒲などが有名だということです。

園芸文化はアサガオ、菊など庶民の生活に根差したものから、大名や旗本及び将軍までも楽しむ江戸時代の文化そのものになっていったようで、その中にナデシコが入っていたと考えられます。

ナデシコも文化そのものなんだなーと思ったものです。

(ナデシコ科 ナデシコ属)

カモ撮りこうちゃん