ヨシ原に集まる大量のプラスチックゴミで考えたこと

蟹江の日光川や善太川の河口にはヨシ原が生えています。

夏にはオオヨシキリが営巣し、冬にはオオジュリン、モズ、ホオジロ、カワラヒワ、スズメ、キジバトやベニマシコなどが見られます。

ヨシを含む単子葉植物の穂がたくさんあって、植物食の野鳥にとっては天国だといっても過言ではありません。

そのヨシ原の下はプラスチックゴミなどが散乱しています。

ヨシ原全体がプラスチックゴミだらけではなく、ある場所だけにあります。

大水の時に流されてきて、水が滞留した場所の水が退いて取り残されたのではないかと思われます。

プラスチックのごみの大半はペットボトルで他に家庭用品も含まれています。

汚れ具合からすると数年前のものだと思われます。

これらのゴミを取り除こうとしても湿地状態なので簡単には入れません。

数年間その場所を写真撮りで歩いていますが、全くそのままの状態です。

ペットボトルも放っておけば日光で脆くなり、今問題になっているマイクロレベルの小さい破片になって海に出ていき、プラスチック被害をもたらすでしょう。

ヨシ原がこんな散乱状況で汚れていると、今度は土手下に産業廃棄物が捨てられてしまいます。

一度捨てられると他の場所にも捨てられていきます。

とても不思議です。

捨てられていると、ここは捨ててもいいんだとか、人もやっていることだからと思うらしく、何か所にも増えていくのです。

そんな心理的な働きがあるようです。

ある時は冷蔵庫さえ捨てられていました。

土手下に住む夫婦が土手に上がってその冷蔵庫を見ながら、主人が「大水があって早く流れて行ってくれれば良いのに。」と話しているのを聞いて驚いてしまいました。

とにかく日本人の思想の中には、「水に流す」という考えがあります。

喧嘩などのトラブルも水に流して、なかったことにする思想です。

その後それがどうなっていくかを想像できないのでしょうか。

仙台の広瀬川でお盆に精霊流しがありました。

ロウソクを灯した小さい精霊を載せた小舟を流すのです。

とても幻想的な光景です。

翌日にその河口の閖上(ゆりあげ)の河口を通りかかった時、たくさんの無残な姿の精霊流しの小舟が散乱して留まっていたのを今でも思い出します。

何か残酷な感じがしてしまいました。

ペットボトルを捨てる際にも、水に流してないことにする無意識の思想が反映しているような気がしてなりません。

その結果、自然環境を悪化させてしまっているのです。

どうすれば良いのか考えてしまいました。

カモ撮りこうちゃん