ガマの穂から因幡の白ウサギを考えてみた

水辺を歩くと、ヨシ原やマコモが生えているところに、時々ガマの穂を見かけます。

それを見ると何故か写真を撮りたくなります。

茶色っぽいガマの穂はなぜか惹きつけるものがあるようです。

大きな茶色っぽいものもありますが、割りと細いガマもあります。

種類が違うようです。

ガマの穂といえば、すぐに因幡の白ウサギを想い出します。

スサノオノミコトの子孫である葦原中つ国(あしはらのなかつくに)を治めるようになる大国主命(おおくにぬしのみこと)の話です。

ウィキペディアに載っている古事記の概略では、「八十神に嫌われていた大国主神は従者のように使われ、ヤガメヒメに求婚しにいく八十神の後をついて行きました。途中で赤裸のウサギに出会いました。八十神たちは塩水を浴びて、山頂で強い風と日に当たるようにアドバイスしました。その結果、体中の皮が裂け痛みに苦しんでいたところに大国主神がやってきて水門に行き、水で体を洗い、ガマの穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろうと教えた。」となっています。

古事記の原文では「水門之蒲黄、敷散而、輾轉其上者、汝身如本膚必差」となっています。

ウサギが赤裸になったのは、ウサギがワニ(フカ)に悪さをしたからです。

これまでガマの穂が乾燥するとワタのようになるので、もみほぐして赤裸のウサギの体に巻きつけて元の体に戻したと考えていました。

ところが「蒲黄」となっていて「蒲の穂綿」ではないのです。

何かとても気になりました。

生薬の玉手箱(No.119)には「『蒲黄』は花の上の黄粉で、明らかに花粉であったことを示しています。~中略~『蒲の穂綿』とは雌花穂の果実が熟して先から長く伸びた糸状体が綿のように伸びたものをいい、古来詰め物に利用され、また硝石をまぜて火打ち石による発火の火口にもされました。」と記されています。

この「蒲黄」は生薬の薬だったのではないかと思われます。

ガマの穂の上の雄花の花粉で傷口を治し、そのガマの穂で体を覆って毛皮の代わりにしたのではなかったかと思うようになりました。

花弁に包まれた雄しべと雌しべが近くにあるものを花だと思い込んでいました。

でもガマの穂のように雄花と雌花が離れている植物が一般的ではないかと思うようになりました。

ガマ、キュウリ、クリ、クルミなども皆そうなのです。

私たちが身近に見かけている園芸植物は進化の過程で、最近のものではないかと思われます。

そんなことを考えてしまいました。

(ガマ科 ガマ属)

カモ撮りこうちゃん