縄文人も食べたというノビルを採って食べてみた!
写真撮りに出かけている弥富市海屋の善太川の土手は、春にはツクシ採りをする人がいます。
ツクシだとばかり思っていましたが、ワラビ採りをしている人もいました。
東北の立派なワラビには及びませんが、私もワラビを採って重曹で灰汁抜きをして食べました。
水に晒すのが短すぎたせいか少し苦みがありました。
その土手にはノビルが生えています。
でも採っている人は全くいません。
山菜としてノビルは対象にはなっていないか、そのことを知らないようです。
ノビルを引き抜いて家に持って帰りました。
土手にはノビルがたくさん生えており、宝庫と言えるほどでした。
初めてノビルを採ったのは、宮城県村田町の山あいの田んぼの畔でした。
ノビルは縄文人が食べていたと知っていました。
洗ってから球根と葉を少し茹でて酢味噌あえにして食べました。
癖もなくなかなかの絶品でした。
野草の中でノビルはヒガンバナ科のネギ属で、スイセンはヒガンバナ科スイセン属で共に球根です。
芽の出だしはとても似ています。
スイセンにはアルカロイドのリコリンが含まれており、食べると吐き気や量が多いと死ぬ場合もあります。
「毒草100種」(中井将善 金園社)には「スイセンによる単独事故はまずありませんが、混生による混入事故はわりに多くあります。つまりノビルと一緒に自生していることが多々あるのです。~中略~ 子の球根はノビルそっくりです。くれぐれも注意しましょう。」と記されています。
家に帰って葉と球根を洗って根を取り去って、茹でてから酢味噌あえにしました。
ノビルの球根だけ食べたら少し泥臭さが残りましたが、酢味噌あえにしたらとても美味しく食べられました。
本当に縄文人が食べていたのか調べてみたら、縄文土器に炭化したノビルが入っていたものがあるようです。(中野区立歴史民俗資料館)
また古事記や万葉集に歌が詠まれています。
応神天皇の歌に「いざ子ども野蒜摘みに蒜摘みに~」というのがあるそうです。
昔からノビルは食材に使われていたのですね。
宮城県東松島市は東日本大震災で大きな被害を受けましたが、昔は野蒜といっていました。
奥松島に行くには仙石線の野蒜で降りて、宮古島の大高森に行ったものです。
野草の野蒜と関連があるのではないかと思いながら、今も疑問のままです。
(ヒガンバナ科 ネギ属)
カモ撮りこうちゃん
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