キクイモは天明の飢饉とは無関係だった
小さい時から夏になると黄色いキクのような花を咲かせる背の高い植物を見かけていました。
叢のいたるところで群生して咲いていたのです。
その植物がキクイモでした。
名古屋の夏の原風景の一部として脳裏に残っています。
そんな風景が江戸時代からずーっとあったと思い込んでいたのです。
セイタカアワダチソウは外来植物だと言われても納得できますが、オオイヌノフグリは帰化植物(明治時代に入ってきた)だと聞かされても、なんだか納得できないのです。
ましてやキクイモは昔から日本にあったものだと思い込んでいました。
キクイモはヒガンバナ同様に救荒植物として利用されてきたと考えていたのです。
根が太くなるので、飢饉のときに利用されていたと思い込んでいました。
大きな飢饉と言えば天明飢饉(1782~1788)を想い出します。
地球規模の気候変動による飢饉です。
10代将軍徳川家治から11代家斎の頃です。
世界的に火山の噴火があり、アイスランドのラキ火山、岩木山や浅間山などの噴火で空気中に火山灰が混じって、日光が地上に届かずに冷害が起こったのです。
当時は幕藩体制だったので日本中からの支援などできませんでした。
特に東北の被害が大きかったと言われています。
そんな時クズ、ヒガンバナやキクイモなどの野草を食べて命を繫いだに違いないと勝手に考えていたのでした。
キクイモは北アメリカ産で幕末に日本に入ってきたもので、葉や根を家畜の飼料とする他、救荒植物として利用されてきました。
しかし江戸時代の天明飢饉の頃にはまだなかったのです。
私の思い込みは間違っていたようです。
キクイモは北海道に多いことから、明治以降のウシやブタの畜産業に利用されたものが野生化したと考えられます。
北海道以外では東北がキクイモが多いようです。
山形ではスーパーや農産市場でキクイモの根を売っています。
ちょっと見にはショウガの根のような感じです。
ラジオで女性アナウンサーが山形のオミ漬けの話をしていました。
オミ漬けに入っているキクイモの舌触りが好きだと言っていたのです。
オミ漬けは山形県人にとってダシ同様に郷土料理の一品です。
キクイモが身近な食材になっていることにびっくりしてしまいました。
(キク科 ひまわり属)
カモ撮りこうちゃん
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