ワタを庭で育ててみた

ワタは昔から育てたいと思っていました。

天童にいた頃、綿業会館でワタの種を配布したのを手に入れましたが、そのままになっていました。

蟹江の隣のあま市の道路脇の畑にワタが植えてあり、写真を撮ることがありました。

この地方ではワタ栽培している人がいるのだと思いました。

その後、愛西市の「立田の道の駅」に行った時、ワタの実をつけた枯れ枝が、生け花の材料として売られていました。

それを買って種を取り出しプランターに撒くことにしました。

種だけを取り出そうとすると、ワタの繊維が種にくっついて取り出せません。

仕方なくそのまま撒くことにしました。

5月半ばのことです。

ワタは昔から日本にあったのではなく、室町時代に中国から入ってきたのです。

最初は綿製品だけだったのを、禁制品のワタの種をなんとか手に入れて栽培するようになりました。

それまでの麻に比べると、保温力が高く衣服の革命が起こったと考えられます。

日本の衣服はそれまで麻のイラクサ科のカラムシ(苧麻 ちょま)を編んだ織物で、麻袋の原料にするジュートとは異なります。

カラムシ、リネン、ケナフ、大麻も麻の仲間で色々な種類があります。

平安時代の十二単(じゅうにひとえ)は一見すると優雅な衣装ですが、あの位着重ねしないと寒かったのです。

福島県昭和村のカラムシ織や、上杉謙信が奨励した越後上布や小千谷縮などもカラムシから作った織物で、今ではとても高価なものです。

室町時代には畿内たちの商人たちが苧麻の中間商品の青苧(あおそ)を扱う座を作って莫大な利益を得たといいます。

江戸時代に入ると綿作(ワタサク)が行われるようになり、三河木綿、伊勢木綿など有名な産地になりました。

東海道の鳴海宿の「有松絞り」は三河木綿を使って模様を絞り出したものです。

大相撲の白鵬の宿舎が近くにあり、有松絞りの浴衣を贈呈されたというニュースもありました。

5月後半になって双葉が出ましたが、順調には育ちませんでした。

水分調節や日当たりが関係しているのでしょうか。

でも基本的には放っておきました。

花はアオイ科なのでハナオクラやオクラと似ていますが、白っぽく夕方には萎んでしまいます。

萎む時に花がピンクになります。

花が終わると実ができ始めますが、緑の硬い玉です。

それが時間経過と共に割れてワタが見えてきます。

更に乾燥が進むと実が裂けてワタが出てきます。

ちなみに真綿(まわた)は蚕(カイコ)の繭(まゆ)から作られたものをいいます。

ずーっと知りませんでした。

繭から作る絹織物が先にあったからでしょうね。

(アオイ科 ワタ属)

カモ撮りこうちゃん