ヒガンバナがだんだん好きになってきた
東北では赤いヒガンバナしか見かけませんでした。
白いヒガンバナは見たことがありません。
宮城県白石市に住む知人は、埼玉県の飯能市まで白いヒガンバナを見に出かけたと言っていました。
白いヒガンバナはそれほど珍しい存在だったのです。
蟹江でも白いヒガンバナは珍しいはずだと思っていたところ、桑名に住む妹が白いヒガンバナを偶然育てていました。
その球根を貰って庭で地植えとプランターで育てています。
花は白に黄色が少し入っていて、真っ白ではありません。
蟹江で周辺を歩き回るようになったら、そこかしこに白いヒガンバナが咲いているのを見かけます。
永和駅に通じる道には、右に白、左に赤と色別に植えてあります。
この地方は白いヒガンバナは珍しいものではなかったのです。
少年時代ヒガンバナは好きにはなれませんでした。
死人花(シビトバナ)と呼ばれて寺や墓の周りに多く植えられていたからです。
深紅の色が血の色を連想させる上に、葉がなく花だけが咲くことも奇異な感じを与えていました。
時代が経つにつれて、そのイメージがなくなって、華やかな色合いを美しいと感じるようになってきました。
他の人たちも同様ではないかと思われます。
場所も寺や墓に限られないで、川の土手などで一面に咲き誇っています。
愛知県近辺では、新美南吉の出生地半田市の矢勝川堤、海津市津屋川堤、岡崎市の乙川堤などが有名です。
岡崎市の乙川のヒガンバナを見に行きました。
テレビのニュースで白や黄色のヒガンバナも咲いていると放映していたからです。
そこの土手のヒガンバナはある女性が何十年もかけて球根を植え続けて育てたということです。
ヒガンバナは三倍体なので種ができません。
そこで球根で増やしていくことになります。
白のヒガンバナが出来る可能性がありますが、ブルーなどの色ができるとしたら突然変異によるものでしょう。
乙川の白のヒガンバナは、自宅のものよりもっと白いものでした。
撮るための目的だった黄色のヒガンバナも咲いていました。
球根分けをして更に増えていくに違いありません。
ヒガンバナに対する人々の見方が、時間が経つうちにこのように変わってきたのだなあと実感しています。
知らない間に学んでしまう社会化教育の一つの例かも知れません。
(ヒガンバナ科 ヒガンバナ)
カモ撮りこうちゃん